代表プロフィール
Profile

この写真は、アメリカ・ナバホ族の地にて、
廣川まさき
(ノンフィクション作家)
『チャイルドヘルプと歩んで』(集英社)の著者。
富山県出身。大学では「児童」を専攻。学生中に子どもキャンプや学童保育など、子どもの活動に関わる。一般会社員を経て、カナダに渡り牧場で働く。主に子馬のスクーリング(馬の初等教育)のようなもの。
2002年、カナダ・アラスカを流れるの大河ユーコン川(1500キロ)を単独カヌーで下り、その著『ウーマンアローン』にて集英社開高健ノンフィクション賞を受賞(2003年)。
以降、世界各国を旅をし執筆することをライフワークにする。
その他の著書、『私の名はナルヴァルック』(集英社)、『ビックショットオーロラ』(小学館)など。
現在は、中山間地で耕作放棄地を復元し、無農薬・無肥料での古代米づくりを楽しみながらNPO活動中。
これまでの歩みをお話しましょう Biography
もともと私は、ノンフィクション分野の書き手です。
ノンフィクションにもいろいろありますが、主に冒険的なことや大自然のなかで生きる人々の暮らしに触れることをテーマにしてきました。
デビュー作となった『ウーマンアローン』(集英社)は、カナダ・アラスカを流れる大河ユーコン川を1500キロ、44日間をかけて単独カヌーで下った記です。
ユーコン川は、360度手つかずの大自然が広がり、川面には常に強い風が吹いていて、カヌーが木の葉のように翻弄されます。
ベアカントリーと呼ばれるほど野生グマの生息地でもあり、カヌーから降りてテントを張るのは、無数に残された熊の足あとの上。
その旅は、まさに冒険でした。
その後も私は、アラスカの森深いインディアンの村や北極海沿岸の伝統捕鯨エスキモーの村などに滞在したり、デナリ山の麓で犬橇をしながら越冬をしたり、カヤックやヨットでフィヨルド沿岸の旅をするなど、常に冒険的なことを好み、そのことを書いてきました。
ですから、私はときどき「冒険家」のように言われることがあります。
私は「危険を冒すことを職業にする」という意味の冒険家ではありませんが、私にとって「冒険」とは、自分のなかに存在する恐れや不安の壁を乗り越え、未知なるものに興味を持つことです。そういった意味では、「私は冒険家である」と胸を張って言いたいと思います。
近著『チャイルドヘルプと歩んで』は、これまでとはガラリとテーマが変わり、私の冒険的な著作を読んで下さった方々には、さぞビックリされたことでしょう。



なぜ、「冒険」から「児童虐待の問題」なのか?
テーマを変える切っ掛けになったのは、アメリカ最大の児童虐待防止団体「チャイルドヘルプ」との出会いです。
チャイルドヘルプは、60年の歴史をもち、アメリカの児童福祉の発展をけん引してきた団体です。その創始者であるサラとイボンヌは、まだ社会が児童虐待の問題に対して認識を深めていない時代から、子どもたちを救う仕組みをつくり、今もなお、多くの子どもたちを救い続けています。
なぜ、私はこの二人に出会ったのか? その意味を知るために、これまでの旅や冒険を振り返ってみると、私を導くようなエピソードにたくさん出会っていたのす。
例えば、ユーコン川沿いのインディアンの村では、若者たちの自殺がとても深刻でした。十代の若者たちが、怒りや悲しみ、絶望感を紛らすために酒やドラッグに手を出し、そのあげくに命を絶っていたのです。
彼らの背景にあったのは、家庭内暴力、育児放棄、大人により加担させられる犯罪など、それは児童虐待とも言える生育環境だったのです。
また、北極沿岸エスキモーの村でも同じような状況と出会いました。村には両親に育ててもらえず、祖父母や養父母と共に暮らす子どもたちがたくさんいました。
子どもたちが、両親と暮らせない理由は、親の酒やドラッグの問題、犯罪による収監中であることなどです。
さらに私の人生を振り返ると、ノンフィクションの書き手になる以前、カナダの牧場で働いていたときのことです。一緒に働いていた女性となんだかうまくいかないなあと思っていると、牧場主のお婆ちゃんが、話してくれたことがありました。
その女性は、子どもの頃に父親から虐待を受けて14歳で家を逃げ出し、路上生活となっていたところを保護されたのだと。
牧場の当時、小学校の先生の傍ら、問題を抱える子どもたちのためのカウンセラーだったお婆ちゃんが、その子のカウンセリングを引き受け、その後も引き取って、退職後一緒に牧場をはじめたことを。
当時の私は、若かったこともあり「児童虐待」についての意識をあまり持っていませんでした。でも、この二人との暮らしの中で、多くのことを学んでいたのです。
チャイルドヘルプと出会ったとき、私はハッとしました。
「私の旅も冒険もすべては、このテーマへとつながっていたのだ」と。





冒険家の役割、旅人の役割とは?
かつて、冒険家や旅人と呼ばれる人たちは、国や社会、暮らしをより良くするための「探求者」でした。
地球の謎を調べたり、より良い交易ができるように未知なる人々に会ったり。そして、その探求で見てきたものを本にまとめたり、講演をしたりして、人々に伝えるのが一つの役割でもありました。
冒険家でありながら、社会に大きく貢献した人物で、最も有名なのは、北極遠征の冒険家ナンセンです。
彼は北極冒険のあと、国連の難民高等弁務官に任命され、世界各国の難民救済事業に従事し、多くの貧困者を救い「難民の父」と呼ばれるようになり、ノーベル平和賞を受賞しています。
ナンセンは、とても偉大な人物の例ですが、冒険や旅で知り得たことや学んだことを、社会に生かそうとすることは、今の時代もかわらず大切なことだと私は思います。
専門家にお任せではなく、一般人にもできることがある。
当初、私は児童福祉のことには専門家がいて、現場で頑張っている方々が大勢いるなかで、「私のような一般人ができることは、何もない」と考えていました。
「児童虐待」をテーマに本を上梓することさえ、おこがましいと。
けれど、私は気づきました。
「一般人だから、専門家に任せておけばいい」、その考えこそが、今まさに助けを必要としている子どもたちを、地中深くに埋もれさせているのではないか、と。




問題提起するだけでなく、実際に行動する者に、
今の時代、「一億総評論家」と言われるほど、国民誰しもが意見を述べることができます。多くの著者やジャーナリスト、ユーチューバーが情報を発信したり、社会を批判したりしていますが、その言葉に責任を持ち、実際に行動している人は、どれだけいるでしょうか?
私は、書き手として「児童虐待」をテーマに著作を上梓したからには、問題提起を世間に投げるだけの書き手ではなく、また、口だけの評論家ではなく、実際に行動する者にならなければ、と思いました。
そう気づかせてくれたのは、「チャイルドヘルプ」の創始者たちです。
今回の取材で、最も驚きだったのは、チャイルドヘルプのスタッフたちが、誰も疲弊していなかったことです。疲弊していないばかりか、皆がいきいきと働き、笑顔さえある。 この違いは何だろう? しかも彼らは、自分の意志でその職業を選んだ一般の人々なのです。
ものごとを評論し、批判し、問題提起するだけであれば、誰にでもできます。でも、その問題と向き合い、行動を起こし、「成功体験」に変える人は、とても少ない。
本当の冒険は、ここにあるのだと思いました。
つらい現実、深刻な問題、難しい課題。それらに挑み、変化を起こし、「成功体験」へと変えていく。これこそが冒険、人生の旅なのかもしれません。
児童虐待を防止するには、『予防教育』が欠かせません。 『予防教育』は、健やかな未来を築くことができます。まさに、私たち一般人にもできる、第一歩です。
ぜひ、仲間になってください。
行動力のある、あなたからの連絡を待っています。一緒に、より良い未来への種まきをしましょう。
(注)文中:エスキモー・インディアンという表記がありますが、アラスカには、この語に対する差別的意識はありません。