アメリカ視察(ペンシルベニア州ピッツバーグ)2025年

拙著『チャイルドヘルプと歩んで』で綴ったアリゾナ州フェニックスでの取材から歳月が流れ、その間に私たちはCOVID-19のパンデミックを経験しました。アメリカ政治もまた、トランプ政権からバイデン政権を経て、再びトランプ氏が舵を取る激動の中にあります。このような変容する社会情勢は、子ども支援の現場にどのような波紋を広げているのか。また、深刻化する諸課題に現場はどう対峙しているのか。そうした問いを抱くなか、ペンシルベニア州ピッツバーグを訪ねる機会を得ました。今回は、ここに、同市の先進的な母子支援や子どもアドボカシーセンター(CAC)、居場所づくりの取り組みを報告するとともに、前回の取材地であるフェニックスとの比較を通じて、子ども支援の在り方を考察していきます。

視察1 ピッツバーグ

ピッツバーグは、アレゲニー川とモノンガヒラ川が合流してオハイオ川となる地点に位置し、その険しい丘陵地と多くの橋が織りなす独特の地形と、ヨーロッパを彷彿とさせる歴史的な建築物が立ち並ぶとても美しい街です。かつては「鉄鋼王」アンドリュー・カーネギーらを中心に世界最大の鉄鋼拠点として繁栄しましたが、産業構造の変化により衰退し、一時期は、貧困による暴力や犯罪が蔓延した時期がありました。現在は、その経済危機を乗り越え、大学や医療機関を核としたハイテク・ロボット産業の街へと転換を遂げています。

(廣川の考察)問題の背景にあるものとは?

前回の取材場所、アリゾナ州フェニックスと、今回の視察地ペンシルベニア州ピッツバーグを比較してみましょう。この二つの市は、一言に、アメリカの「西部」と「東部」という違いがあります。しかし、その地理的背景以上に、対照的な歴史と社会構造が存在します。

まずアリゾナ州フェニックスは、華やかなイメージを持つカリフォルニア州に近く、メキシコと国境を接しているという地理的特性から、より良い生活を求めて国境を越えてくる不法移民が多いという側面があります。

また、広大な砂漠地帯であり、歴史的に先住民族(インディアン)の人口が多いのも特徴です。現在でも、白人社会とは一線を引きながら生活している先住民族のコミュニティも少なくありません。

一方、ペンシルベニア州ピッツバーグは、大都市ニューヨーク州に隣接し、かつて鉄鋼業で繁栄を極めていましたが、産業の衰退とともに「ラストベルト(寂れた工業地帯)」の象徴となり、一時は、失業や貧困、それに伴う治安悪化や児童虐待といった深刻な社会問題を抱えていました。

南米国境から遠く離れているものの、中南米系の移民人口が多く、コミュニティも多く形成されています。

また、歴史的に先住民族を排斥してきた経緯から、フェニックスとは対照的に先住民族の人口が極めて少ないという特徴があります。

この二つの市が抱える児童虐待に関わる問題には、これらの地域的、歴史的特徴が背景にあります。

視察2 ピッツバーグの取り組み

ピッツバーグでは、新生児とその家庭を対象とした包括的支援策「ハローベイビー(Hello Baby)」という取り組みを行っています。この制度は、出産時に個人情報を登録することで、行政によるモニタリングと必要な支援をシームレスに提供する仕組みです。

特筆すべきは、モニタリングにビッグデータを用いた予測分析を導入している点です。

これにより、人間の主観やバイアスを排除した客観的な判断が可能となり、リスクの高い家庭を早期に特定できます。支援内容は食料や育児用品の提供といった実質的な経済援助が中心であり、虐待の根本原因である「経済的困窮」に直接介入することで、未然防止に大きな成果を上げていました。

(廣川の考察) まずは、生活基盤のサポートを

アメリカ大統領選挙において、かつて「ラストベルト(錆びついた工業地帯)」と呼ばれた地域の動向は常に注目の的となります。産業の衰退による深刻な不況は、労働者家庭を直撃し、薬物依存や犯罪の蔓延、そして児童虐待の連鎖を招きました。当時、学校給食が唯一の栄養源だったという子どもも珍しくなかったといいます。こうした不況に伴う治安悪化や家庭崩壊という深刻な社会課題に直面してきた都市にとって、国政の舵取りは自分たちの死活問題に直結するからでしょう。

「ハローベイビー(Hello Baby)」の取り組みは、物資支援によって児童虐待を未然に防ごうという実利的なアプローチです。これは、経済不況を元に児童虐待の蔓延を経験しているからでしょう。まずは生活の基盤を支えることが最優先という考えが、確かな実効性を持って受け入れられているように感じました。

視察3 子どもアドボカシーセンターの視察

ピッツバーグに設置されている子どもアドボカシーセンター(以下、CAC)は、広大な敷地を持つ総合病院の一角に併設され、医療機関との強固な連携体制を構築していました。センター内には医師、フォレンジック・インタビュアー(司法面接者)、心理師、福祉専門職員が常駐しており、高度な専門性を備えた多職種連携が可能となっています。

アメリカにおいてCACは、全国共通の厳格な基準およびプロトコルに基づき整備されているため、本センターもその例外ではなく、子どもの不安を緩和するプレイルーム、身体的診断を行うメディカルチェックルーム、事実確認のためのフォレンジック・インタビュー(司法面接)ルームが完備されています。

これらが一体的に配置され、専門家が常駐することで、子どもの保護から医療・聞き取り・心理的支援までを一挙に行う「ワンストップ型支援体制」が極めて迅速に機能していました。

(廣川の考察)人身売買、児童誘拐、これは本当に起こっていること

施設面においては、全米で統一された高い基準が遵守されているため、設備そのものに特筆すべき新奇性があるわけではありませんでした。しかしながら、その「標準化」こそが、日本の現状との大きな乖離であると感じました。日本におけるCACの普及の遅れと社会的認知度の低さは、日本の支援体制が依然として発展途上にあることを痛感させます。

視察の最後に、センター長を務める医師とそのスタッフと話す機会があり、アメリカの核心に触れる質問を投じることができました。その内容の一部を、あえて対話形式で記します。

私:「これまで、児童誘拐から救出・保護された子どもを扱ったことはありますか?」

医師:「はい。私たちは非常に多くの誘拐被害児童をケアしています」

私:「『多く』とは、具体的にどの程度の頻度でしょうか?」

スタッフ:「およそ2〜3週間に1人は、誘拐被害に遭った子どもがここに連れてこられます」

私:「……それはあまりに多すぎる。驚きを禁じ得ません」

スタッフ:「このセンターはピッツバーグ郊外の複数の郡を管轄しているため、このような数ですが、アメリカ全土で考えると、もっと多いことでしょう」

医師:「アメリカにおいて、児童誘拐は極めて深刻な問題なのです」

この数分ほどの会話を、本報告で強調したかった理由は、一点に集約されます。日本において「児童誘拐」という事実は、未だに「遠い異国で稀に起きる大事件」と捉えられており、危機感の希薄さが否めません。しかし、これは決してアメリカ固有の問題ではなく、日本を含めた全世界が直面すべき課題です。現にアメリカの児童福祉は、もはや親子に関わる相談所という側面だけではなく、日常的に「事件」と向き合う最前線でもあるのです。

日本では、依然として児童虐待を「家庭内の問題」と見なす風潮が根強いですが、社会の多様化に伴い、子どもを取り巻くリスクは複雑化の一途を辿っています。世界で起きている現実は、明日日本で起きても何ら不思議ではありません。現実を見据えるならば、児童虐待を「家庭内の問題」と矮小化する閉鎖的な視座を排し、世界水準に即した支援施設の常設と普及を急ぐべきです。

視察3 子どもの居場所型施設

ピッツバーグには、子どもたちが放課後や週末を安心して過ごせる「子どもの居場所を提供する施設」が多く存在します。その一つを見学する機会を得ました。施設内は、遊び場や学習スペースが完備されていて、子どもの成長に合わせた衣類の提供や、食事のサポートも日常的に行われていました。運営財源は主にピッツバーグ市が担い、衣類などは市民からの寄付によるものでした。

(廣川の考察)孤立、孤独のない社会づくり

経済的困難を抱える家庭にとって、子育て費用は大きな負担です。親が精神的に追い詰められることは、児童虐待のリスクを高める一因にもなりかねません。この施設は、家庭の負担を直接的に軽減することで親の心にゆとりを生み出し、虐待の未然防止につなげていました。また、保護者の不在時に子どもが一人で過ごす「空白の時間」に安全な居場所を提供することで、犯罪やトラブルに巻き込まれるリスクを最小限に抑える役割も果たしています。

さらに、アメリカ特有の課題として、人種によって孤立しがちな親子を積極的に受け入れ、母子ともに垣根を超えて「友達づくり」ができる環境を整えていました。こうした取り組みは、親子を孤立から守り、「孤独感」を解消する重要な役割を果たしています。結果として、親子を取り巻く対人関係が豊かになり、他者との交流が虐待のリスク因子を抑制し、虐待の未然防止に寄与していると感じられました。

視察4 ラティーノ・センター

本来、その場所すら公表しないラティーノ・センターを見学することができました。ラティーノとは、主にアメリカ合衆国において、中南米(ラテンアメリカ)の国々をルーツに持つ人々を指す言葉であり、メキシコ、プエルトリコ、キューバなどの出身者やその子孫を含み、言語・文化的な繋がりを持つ人々の総称です。

本施設は、強い理念を有するラテン系女性センター長の主導のもとで、志を同じくする同系統のスタッフによって運営されていました。その設計思想は、単なる「子どもの居場所」ではなく、トランプ政権下に作られた移民排除ともとれる強硬的な執行機関(ICE)から、たとえ不法移民の子どもでも「子どもを守る!」という強い意志で提供されている施設です。

比較的低所得層が居住する地域の雑居ビルの2階にあり、施設内ではラティーノの子どもたちが、自由にかつ安全に遊び、勉強をすることができる環境を整えています。

誰でも2階に上がって来られないように、階段は封鎖されています。2階に上がるには、厳重なセキュリティシステムが導入されているエレベーターに乗らなければいけません。そうすることで、子どもを捕まえようと追いかけてくるICEから、ただちに子どもを保護することができるようになっていました。

(廣川の考察)トランプ政権が助長する児童虐待

今回のアメリカ視察における最大の関心事は、再発足したトランプ政権下の政治・社会情勢が、子ども支援の現場にどのような影響を及ぼしているかという点でした。

トランプ政権下で児童虐待対策が進展したという報道を耳にすることはありません。それどころか、現政権の強硬な移民政策は、ラティーノの子どもたちを窮地に追い込み、虐待に等しい状況を助長しているという事実が本当に存在しているのです。

象徴的なのは、このセンターが所在地は一般的に「非公開」であること。それは、場所が特定されれば、移民局の介入を招き、子どもたちが連れ去られるリスクがあるからです。

不法移民とされる親が逮捕・隔離の末に強制送還される一方で、アメリカ育ちの子どもたちは自国の言葉を解さず、帰還後の生活基盤も持つことができません。結果として、子どもたちはアメリカに留まる道を選ばざるを得ず、親との引き離しという過酷な運命を辿ることになります。また、自身も捕まることを恐れた子どもたちが学校に通えず、学びの場を奪われているのも事実です。

これはまさに、政治が生み出した「社会的な児童虐待」に他なりません。この惨憺たる実態を明らかにする現地のスタッフと交わした対話をここに記します。

私:(トランプ政策下で発足したICE(アイス)(移民執行局)による、子どもの強制連行は、第一期トランプ政権時代に、とても酷かったが、)「今もなお、ICEによる問題は続いているのですか?」

施設スタッフ:「はい。ICEは今も私たちの脅威です。子どもたちは下校途中に待ち伏せされ、そのまま連れ去られてしまうことさえあります」

同行していたアメリカ在住の通訳者が、驚きの声を上げました。

通訳者:「ICEが子どもを連れさるシーンは、テレビドラマで見たことがあるけれど、現実に起こっていることなのですね!」

(ドラマ撮影が行われているカリフォルニア州は、トランプ政権の共和党に対峙する民主党を支持する人口が多いため、ドラマのなかでICEを横暴な行為としてよく表現されています)

施設スタッフ:「それは、実際に起こっていることなのです。このセンターは、ICEの追っ手から子どもたちを守るための避難所(シェルター)なのです。だから階段を封鎖して、エレベーターには厳重なセキュリティーをかけているのです。ICEが捕まえようと追いかけてきたら、子どもたちはこのエレベーターに逃げ込むことができます。 ICEはエレベーターに乗ることも、二階に上がることもできません」

施設スタッフ:「ICEは、学校でも待ち伏せをするため、その恐怖で学校に行けない子どもたちもいます。子どもたちから、学ぶ機会さえも奪っているのです」

施設スタッフ:「親を強制的に送還されて、子どもたちだけで隠れた生活を余儀なくされている子ども達もいます」

スタッフたちの目が、涙であふれそうになっているのが見えました。これまでに出会ってきた「子どもの居場所」のスタッフたちは、その眼差しに情熱的な明るさを感じましたが、このラティーノ・センターのスタッフたちからは、非常に切実な、悲壮感に近いものが伝わってきました。親を失い、国からも拒絶され、生活の保障もない子どもたち。彼らだけで、一体どうやって生きていくことができるでしょうか?この凄惨な状況を生み出している移民政策、そしてそれを黙認し続ける社会の在り方は、もはや「政治的・社会的児童虐待」と呼ぶほかありません。今回のラティーノ・センターへの訪問は、ピッツバーグ市の職員が設定してくれたものでしたが、本来、市の職員は国政に従う義務があり、不法移民を目の当たりにすれば通報する人も多い。そのような中で、彼らは、自らの職責や目に見えない制約や圧力を越えてでも、この「現実」を伝えてくれたのだと、私は受け止めました。移民対策は、アメリカだけでなく、世界中の問題です。日本も例外ではなく、大きな問題となっています。しかし、その対策のやり方を間違えると、子どもの人権を侵し、子どもの未来を奪うことになります。その警鐘を、この施設は鳴らしている、私はそう強く感じました。

おわりに

今回このような視察の機会を頂きました関係企業の方々、並びに、ペンシルベニア市の職員の皆さまに深くお礼を申し上げます。本当にありがとうござました。

(廣川のまとめ)

アリゾナ州フェニックスでの取材と同じく、今回も強く印象に残ったのは、児童福祉に携わる職員たちの、情熱に満ちた眼差しと誇り高い佇まいでした。それは単に「アメリカ人は自信家で、日本人は控えめ」という国民性の違いではありません。日本の職員が疲弊し、魂を削りながら働いているように見えるのに対し、彼らは「一人でも多くの親子を救う」という明確な使命を、最高の「報酬」として目を輝かせていたのです。アメリカが抱える問題は、日本よりもはるかに深刻です。それなのに、なぜ日本の現場はこれほどまでに疲弊して見えるのでしょうか?

日本は今後、これまでよりも深刻な児童虐待の問題に直面したり、文化や風習の違う移民の受け入れといった喫緊の課題に対して、より抜本的な対策を迫られることになるでしょう。その際に、この分野で先んじているアメリカの事例は、成功も失敗も含め、日本が進むべき道を照らす重要な指針となるはずです。

ひとり一人が意識を持ち、他国の動向を冷静に注視しながら、日本にとっての最適解を模索していってほしいと思います。